平成19年度「野川とハケの森の会」総会での中川清史会長の挨拶から
この間、ヨチヨチ歩きながら、野川清掃や植樹をはじめ、野川の野鳥、野草、昆虫などの写真展やビデオ撮影会から、地域の小学校の野鳥観察会まで、数多くの様々なイベントを行ってきました。
これらは、ひとえに幹事をはじめ会員の皆さまの努力や、地域住民の方々のご理解および(財)世田谷トラストまちづくりなどのご協力の賜物だと、この場を借りて厚くお礼申し上げます。
このような皆さまのご尽力で、会の土台もそれなりに築くことができ、これからは会の趣旨である「野川とハケの森」の自然を慈しみ、守り、育てていくために、より一層の努力を重ねていきたいと考えております。
先日、東京都と野川流域の住民・団体・自治体関係者からなる「野川流域連絡会」で旧野川歩きがあり、休憩時間に、古い写真や地図などを見ながら、「野川には過去に2回大きな試練があった」という内容の報告ありました。
1回目は、約400年前の江戸中期に行われた六郷用水(次太夫堀)の開削でした。多摩川の水を下流の大田区の灌漑用のために開削したのです。それまでは、崖線の森からの湧水を集めて流れる野川をはじめとする多くの小さな川が多摩川に流れ込んでいました。それらの川を六郷用水に吸収したのです。
2回目は、昭和44年に野川の流れを変えたことです。それまでの野川は小金橋付近から南に下がり、狛江市役所辺りで六郷用水と合流していました。ところが、戦後、狛江市で洪水が頻発し、41年の台風4号では被災数約1,700世帯、浸水田畑約41ヘクタールに及ぶ被害を受けたのです。
このため野川はショートカットされ、すでに予定されていた外郭環状道路(外環道)に沿うような形で、今のところに容量を拡大して移設されました。
この2回です。ここから私見も入りますが、現在、3回目の試練が近づいている感じがします。要因は2つあります。1つは外環道です。今年3月、都の都市計画の変更が決定されました。
それによると、外環道は野川と国分寺崖線の間を地下40メートルの大深度トンネルとなり、小田急をくぐったあたりから地上に上り始め、玉堤通りで地上に出て東名道路に上から接続することになりました。
この辺りは、浅層地下水と深層地下水が流れており、野川との水の出入りが激しい所です。野川はもともとハケ森の湧水を集めて流れる川。外環道によって地下水が遮断されないか心配です。
もう1つは、地球温暖化によって短時間で大雨が降り、都市開発の加速化もあいまって、大量の雨が地下に浸み込まずに、野川に流れ込むこみ、川が溢れることです。こうした事態が何回か起こると、短期間で大量の水を多摩川に流してしまおうと、岸辺の木々が切られたり、草地が刈られるのではないか心配です。
難しい話ですが、このような時代にあっても、何とか現在の「野川とハケの森」の自然環境をこれからも守っていきたいし、皆様にも呼びかけていきたいと考えております。
(平成19年5月13日)